こざかなの素

健康は大事

「自分」がない

連休最終日。安定した初夏の陽気から一転、最後は大雨で締めくくりになりました。
お休み中に思いっきり遊ばせた身体を休ませろ、ということでしょうか。

連休中、放置していた問題(というほど大袈裟なものではないが)を片付けました。
昨年、友人(50代独身女性)からのメールを読んで、もやっとした、という記事を書きました。自分はASDかもしれない、と考えて、まだ確定診断されていない時でした。

自分はASDグレーゾーンだった、と伝えた友人からの返信メールに
「障害ではなくて良かったですね」
と書いてありました。
「グレーゾーン」がどういう状態のことを指すのか説明したつもりでしたが、どうやらうまく伝わっていなかったようです。
「白(障害ではない)」と「黒(障害がある)」の「黒ではなくてよかった」 という意味だと、私にはそう読めました。

なにやら腑に落ちないので書き出してみる - こざかなの素

そのメールには返信せず、友人とは連絡を絶っていました。
その後診断書をもらって手帳を取得することになりましたが、それは伝えていない状態です。

そんな友人から再びメールが来ました。
ひとりが寂しい、人恋しい、趣味が何もない、年を取るのが怖い……という内容でした。

「障害ではなくて良かったですね」

「自分は発達障害だったよ」と伝えたらどんな反応が返ってくるのかちょっと興味はありましたが、この文章が頭から離れず、やはり返信する気になれませんでした。

しかしその後も短文メールが二度三度来たので、自分が思っている「もやっと感」を正直に伝えることにしました。長文で、しかも少々きつい文章になりました。

 

以前からそうでしたが、何か困ったことがあると必ず私に相談メールをしたり電話をしたり(話を聞いてくれる人で私が真っ先に浮かぶのだとか)、そのたびにこういう方法はどうか、こんな選択肢もある、と提案していましたが、今となってはそれがいけなかったのだと思います。
壁に当たった時、まず自分で解決方法を探すのではなく、私を頼るようになってしまった。

 

自宅のネット回線も古いしパソコンのバージョンも古くて使えない、どうしよう?

家族の介護を長くやっていたなら、介護職という道もある、との一例をあげると、自分の適性や関心も考えずにハロワに出向いてしまう(すぐに仕事を紹介されて困った、とまた私に相談が来る)

自治体にも困りごとの相談窓口がある、と教えると、話を聞いてくれた人がパートのおばさんぽくて世間話のようになってしまった、と。

 

さすがにもう「いいや」と思うようになりました。
この人は自分で何も考えず、調べず、人の言うことを聞いて受け身のまま動いているだけでした。

ひとりが寂しい、と言われても、私はひとり大好きだし、趣味がない、というのも私には理解し難いのです。何か一つ、夢中とまではいかなくとも、何となくこの分野が好きだなぁ、と思うものはあるかと聞いても、何もない、という答えしか返ってきません。

提案や助言はせず、ただ話を聞いてあげればよいのでは?という考えの人もいると思いますが、傾聴は難易度が高い技術です。私には難しいことなのです(ましてやアスペルガーだし)。

ごめんね、という言葉が繰り返し書かれている文章を読むと、何か精神面で抱えているものがあるように感じました。心療内科にも通院しているのに、先生と何を話しているのだろう?と思ってしまいます。
ここでも自分からは悩みや困っていることを話さず、先生の質問に答えているだけなのかもしれません。私が勝手に想像しているだけですが。

きつい文章のメールを読んで、彼女がどう思うかは分かりません。
これからも、私以外の誰か、話を聞いてくれそうな人を見つけて頼って、言われるまま行動する人生を歩むかもしれませんが、それも本人次第です。

ただ、一夜明けて自分も冷静になって考えたら、そのメールで最悪相手が絶望して生きることをやめてしまったら、とちょっと怖いことを考えてしまった。
(もう自分にやれることはないのでどうしようもない)