こざかなの素

健康は大事

「その日」が来た(1)

以前、「家族とは関わりたくない」という内容の記事を書いたことがあります。
しかし「関わらざるを得ない」出来事があり、それは今年の1月末あたりから始まりました。
(そんな訳でここしばらくはブログを放置していました)

 

害獣駆除で何となく落ち着かない日々を送っている最中、高齢の両親が揃って体調を崩し、後日病院で検査をしたら、二人ともコロナウイルスに感染していることが分かりました。

病院で検査をする数日前、救急要請をした父は、発熱以外、急を要する処置が必要な症状がなかったため、救急隊員の方が枕元にあった市販の感冒薬を飲ませ、様子見という形で自宅療養になりました。

母は発熱が3日ほど続きましたが、解熱後は味覚障害が短期間続いただけで、パキロビッド(コロナの薬)を飲み切った頃にはほぼ元の生活に戻りました。

ところが病院から戻った2日後。私の喉に異変が現れました。

その時点でだいたい想像はつきましたが、喉イガイガの翌日には39.6℃の発熱。
ほぼ間違いなく自分も感染・発症だと思いつつ、この日は日曜だったため終日寝込み、翌日かかりつけの大学病院の発熱外来に駆け込みました。

そんな日に限って首都圏は降雪。検査結果が出るまで、屋外の隔離テントで2時間近く待機となりました。この時の体温は38℃台(正確な数字はもう覚えてない)。テント内に空調を調節するような機械はありましたが、それが暖房だったかは不明です。
とにかく寒くて、ダウンコートを着たまま震えながら
「これは何かの罰ゲームか、拷問か、苦行なのか修行なのか……」
と頭の中で繰り返し考えて気を紛らわせていました。

検査結果はテントで待機したまま、内科の医師から電話で連絡が来ました。
(コロナ:陽/インフル:陰)
看護師さんから会計ファイルと処方箋を受け取り、精算して帰宅となりました。

ちなみに出された薬はコロナ用ではなく、喉の炎症を抑えるもの・咳止め・解熱剤の3種類です。
(薬を見て「これはこじらせた風邪なんだ……」と思った)

その後、発熱は38℃台が1週間ほど続き、その間の食事はゼリー飲料とお粥のみ。
そんな食事で思い出したのが抗癌剤治療中の生活でした。あの時とほぼ似たような感じでしたが、違う点は吐き気がなかったこと。些細なことですがそれだけは救いでした。

解熱後は咳に加え、コロナの症状で広く知られている「倦怠感」が出て、なかなか思うように動けず、さらに1週間ほど就労支援の作業もお休みを頂いて療養していました。

両親はというと、母は元通りでしたが、父は肺に基礎疾患があったせいか、ほぼ床の中で寝て過ごす日々になっていました。

(続く)