こざかなの素

健康は大事

「家族なんだから」にも限界がある

金輪際、話をしたくない、と会話を断っていた母。
先日仕事が終わり帰宅してから昼食を取ろう(勤務は13:30までなので)と台所に行ったら、部屋の電気もテレビもつけず、ぼんやりとした様子で椅子に座っている母がいました。

私はいつも通り無言のまま、コーヒーを持って二階の自室に戻りました。
が、どうしても気になってしまう。
自分の意思では話し掛けたくない、関わりたくない、と思っているのに、何でだろう?

昼食を終えてから、階下に降りて母に声を掛けました。

夏から疎遠になっていたので約4か月ぶりの会話。
ここ数日間、母は部屋から出ることが減っており、必然的に顔を合わせる機会が減っていました。

それでも我関せずを通していましたが、話を聞いたらゴミ出し中に転倒して顔を打ち、熱も40度近くまで出て幻覚が見えた、とのこと。
近所のかかりつけ医の診察も受けていないとのことで唖然としてしまいました。

言い訳になってしまいますが、私は自室にこもり、交流が途絶えていたため知りませんでした。
しかし、日中・夜・休日などには顔を合わせている父と兄は、診療所に連れて行くという行動には至らなかったようです。

6月にも転倒し、顔に大きな切り傷と痣を作っていましたが、同じようにまた顔には大きな紫色の痣が出来ていました。幸い熱は下がっており、大分楽になったとは言っていましたが、父と兄、二人はどういう心境だったのでしょう。

私は自身の行動や考え方に疑問を持って自ら心療内科や検査に赴き、その結果、特性がある人間だと判明しました。

決めつけは良くない、と頭では分かっていますが、どうしても考えずにはいられません。
父と兄、二人は自分で気付いていないだけで、恐らく何らかの凹凸があるのではないか、と。
もっと簡単に言うと「普通」ではない。
(普通、という言葉も若干違和感はありますが)
そして本人的には何も困っていない、というのが非常に厄介です。
「普通」なら、目の前にいる家族が大怪我したり高熱を出していれば、病院に連れて行くと思うのですが、違うのでしょうか?
(この点は母を無視し続けた私にも大いに落ち度があります)

本人に自覚を促すのは難しいので、後日母をかかりつけ医に連れて行った際に、その先生に相談してみよう、ということになりました。
その先生の診療所は小児科もあり、発達障害の相談にも応じてくれるとのこと。
子供ではなく、高齢者、中高年が対象者ですが、何か別の相談窓口に繋がる道を探る意味でも無駄にはならないと思います。

父については、以前母の精神神経科受診時にも相談したことがありますが、その時の先生は

80代という高齢で、あらためて病院にかかって正確に診断を下す必要があるのか。 そう考えてTさんがお世話になっている医師に相談したところ、齢も齢だし、今更(言い方はもう少し柔らか目)……というのが先生の答えでした。

マイナスの塊を持っている人 - こざかなの素

高齢のため認知症との区別もつきにくいそうで、このまま現状維持(周囲の人間が大変だけど)になるかもしれません。
支援は本人のためでもありますが、周りにいる身近な人の手助けにもなり得ると考えています。

それにしても。
自分のことだけでも問題山積なのに。
家族だから面倒見るのは当然、なのかな。自分は冷たい人間なのかな。
それでも、頼れる場所があるなら頼っていきたいです。