こざかなの素

健康は大事

もう、うんざりだ

きっかけは本当に些細なことでした。

7月のいつ頃かは忘れましたが、その時から母との会話が途切れました。全く話をしていません。
その母が、来週の通院(の付き添い)を頼んできました。

無視。完全に無視しました。
何と冷酷な態度でしょう。自分でも思います。

過去に何度も会話の齟齬(行き違い)から口を利かなくなったことがありました。
しかしその度に(何故か絶妙なタイミングで)具合が悪くなったり怪我したりで、何かと病院へ連れて行く事態になり、気付くとまた普通に会話する状態に戻っています。

母に振り回されている。もう、うんざり。
親だから、家族だから、高齢者だから。お世話するのは当たり前?
その親は、子どもの私に何をしてきたか?
今うんざりしているのは、その時の記憶が蓄積されているからです。

 

父は泥酔して暴言、暴力、子どもの目の前で夫婦喧嘩はしょっちゅう。
母は当時の愚痴を私にぶつけてくる。
父がしてきたことと言えば、家族でお花見に行けば酔っぱらっていつの間にかいなくなり、先に帰宅して待っていると、誰かに殴られたのか顔を腫らして帰ってくる。
私が思春期の頃は子どもの部屋の前の廊下で泥酔して失禁する。
挙句、その後飲酒運転で大怪我しても懲りずに酒を飲む。
そんな配偶者を「仕事は真面目だし犯罪者にならないだけマシ」と都合よく考える母。
(飲酒運転は犯罪です)

 

私がアスペルガーだと分かり、その説明を何度しても全く理解していないです。
会話で行き違いが生ずると
「ほらまたすぐそういう言い方する!」
と激昂します。

発達障害は小さい時から特性が出ているものだと言っても
「そんなことはなかった、普通だった」
の一点張り。
IQの数値もWAIS検査で判明しました(境界知能一歩手前)が、動作が遅いことは「のんびり屋さんな性格」だと思っているようです。本人的にはそれが社会に出てから支障をきたしていたのですけど。
今になって考えれば、父もアスペルガーの傾向があります。自分もそうだからよく分かります。

 

会話が途絶えるきっかけとなった些細なことは
「冷凍庫に入っているアイス」です。

アイス食べたい、と母に頼まれて買ってきたバニラアイス。数週間、冷凍庫に入れっぱなしでした。
いつ食べるんだ?と思っていたある日。
母は「これ(アイス)食べていい?」と聞いてきました。
自分で頼んでおいて忘れてるのか(めんどくさいな)、と思いながら「食べれば?」と答えた途端、不機嫌になりました。
そして「いいよ、いらないよ!食べない!」

 

ダメだこりゃ。
と、ドリフ時代のいかりや長介さんのセリフが頭に浮かびました。
今まではこんな流れになっても何とかご機嫌を取って修正してきましたが、もういいや、と思いました。
恐らく、私の「食べれば?」の口調に(めんどくさいな)という心の声が反映されていたのでしょう。ここでまた私が説明しても、今までの経験から火に油を注ぐ結果になるのは目に見えています。

 

早く実家を出たいです。こんな歳で実家にいること自体が情けない。
無職で病気になり、しばらく仕事は無理だと甘えてしまったのが失敗でした。
あの時は完全に判断能力が鈍っていました。

 

社会復帰の足掛かりとして通っている福祉サービス(今までぼかしていましたが、ぶっちゃけるとA型事業所です)の収入は自活出来るほど多くないです。通い始めてまだ4か月ですが、とても居心地が良いところです。
それゆえ、いざ一般就労に移行となった時はなかなか踏み出せなさそうだな、と感じています。

やっと引きこもり状態から抜け出せはしましたが、体調、体力、まだまだ続く通院を考えると難題山積みです。
自分のことでいっぱいいっぱいなので、もう親には関わりたくないです。
(同居していると行政的に義務が生じるのでそういう意味でも早くここから離れたい)

 

難題山積みなのに、ゲームで現実逃避してしまう自分が情けない。
が、自分の世界に入っていると「ま、何とかなるか」とのんびり考えてしまいます。
こういうところで「のんびり屋さん」が発揮されています。いいのか悪いのか。

 

(ヤフー)コメント欄読むと、同じような人が世の中にたくさんいてちょっと安心した。

【2023.11.14 追記】ヤフー記事のリンク切れを確認・削除しました

(元記事はこちら)

www.yomiuri.co.jp