こざかなの素

健康は大事

【東日本大震災】12年

現在高校生くらいの世代以上なら忘れられない日でしょう。
当時からブログは書いていましたが、移転続きで今は過去記事をローカルフォルダに保存してあります。

12年、卯年の干支一周の節目ということで、抜けている年もありますが今まで書いてきたものを再掲してみます。

 

2011年3月11日(金)【東日本大震災】非常

帰宅難民で今晩は15階の職場に缶詰めです。
サバイバル、旅先では幾度か体験していますが、これはちょっと異質で笑えません。
余震に怯える最悪な週末です…。

【追記:3月12日(土)】
帰宅の足の公共交通機関が完全にストップしたので、夜が明けて落ち着いてから帰ろうと思っていたのですが、4時半頃に会社の人の車で送ってもらえることになり、2時間掛かって早朝6時半頃にやっと帰宅することが出来ました。
先に徒歩で帰宅していたその方は、居残り組の人たちの為にわざわざ車を出してくれました。相当疲れているはずなのに、もう、大感謝です。
12時間以上も15階で断続的に地震の揺れを受けていたせいか、身体の感覚がちょっと変になっています。
帰宅して入浴してから軽く食事をして、2時間ほど眠りましたが、今も続く余震に相当敏感になり、揺れていない時も揺れている感覚があります。
ビルの防災センターからは、頻繁に「当ビルは関東大震災クラスの地震にも耐えられる設計ですのでご安心ください」という放送が流されていました。今回の地震はその震災を上回る規模だという突っ込みの声が社内からちらほら聞こえていましたが、それでもその館内放送を聞いて多少の安堵感を得ることが出来ました。
机の下に潜ってじっと耐えるしかない現実を直視した時、本当に人間の無力さを実感しました(机の下で丸くなっていても、建物が倒壊したらなす術もなし)。
夜が明けて、各地の被害状況が明らかになってきました。
自分は今のところ運よく大きな被害を被っていませんが、津波等で罹災された方々の今後の生活や心のケアがどうなるのか心配です。
今はまだ警報や注意報が発令されている状態で地震が現在進行形ですが、1日も早く元の生活に戻れるよう祈るばかりです。

【追記:3月13日(日)】
M9.0への上方修正。驚愕しました。
津波の映像を見てから動悸が止まりません。食欲も全くなく、金曜の夜からまともな食事をしていませんでした。日常生活に支障を来たす被害を受けていなくても、テレビの凄惨な映像を見ただけでショックを受ける人も全国にはたくさんいると思いました。
そして、まだ続く余震に怯えつつ、自宅にいられる自分が今出来ることを考えたら…
節電と募金。微力ゆえ、今のところこれくらいしか出来ません。
丸2日経って、世界各地から支援の手が届き始めています。日本人の1人として、素直に感謝したい。

 

2014年3月11日(火)【東日本大震災】忘れない

一生涯、忘れてはいけない、忘れられない日。
そして平凡・平穏な日々にただ感謝する日。
生きていること自体が奇跡だと思い直す日。

 

2016年3月11日(金)【東日本大震災】5年

思った以上にあっという間だった。
節目を機に、自分に出来ることを改めて考えた。

 

2017年3月11日(土)【東日本大震災】6年

小学1年生が中学生になるくらいの年月。あの日からもうそんなに月日が経った。
長いようで短い。短いようで長い。
日本人は優しい人が多い。
人の苦しみを自分のことのように感じて、一緒に悲しんだり嘆いたり、元気づけてくれる人が多い。
と思っていたのに。
「原発いじめ」
震災に関連する原発いじめもそうだけど、いい加減「いじめ」という表現をやめて欲しい。ひらがなで書かれるせいなのか、「いじめ」という単語からは行動の重さが感じられない。
昭和の時代にいた「いじめっ子」とは比べ物にならないくらい、今は陰湿さ・狡猾さが増しているような気がする。
震災の数年後にこんな問題が浮上してくるとは、6年前の今日は想像だにしなかった。
住み慣れた土地から離れざるを得なかった人たち。
何の落ち度もないのだから
言葉の暴力に曝される謂れはない。
心・生活環境ともに復興にはまだ時間が必要だけど、応援している人間は微力だけどここにもいる。
この日起きた出来事は一生涯忘れない。

 

2018年3月11日(日)【東日本大震災】7年

7年経った。
記憶はだんだん薄れているが、長周期地震動の恐怖は未だ拭えず、小さな揺れがあった時でも身構えてしまう。
自分はあと何度この日を迎えることが出来るのだろう。
やりたいことをやっておこう、と最近はよく考える。

 

2020年3月11日(水)【東日本大震災】9年

もう、というか、まだ、というか、9年経過した。
当時の日記を読み返すと記憶がよみがえる。
 勤めていた職場のビルの1階にコンビニがあったのだが、食料品が即座に品薄になっている中、バナナを買ってきてくれた同じ部署の女性には今も感謝の念が消えない。
(当時その方は自身の病気を抱えていて大変な状況だった、と後で知った)
今は新型コロナで日本だけではなく世界中が混乱しているが、彼女のように非常事態でも落ち着いて、傍にいる誰かを気遣える人が多くいてほしいと思う(自分も含めて)。

 

2022年3月11日(金)【東日本大震災】11年

あの日と同じ金曜日。
最初の3行はガラケーでの書き込みで、帰宅してから続きを書きました。
壁際のタンス、絶対倒壊してガラスが割れて部屋めちゃくちゃだろうな……と覚悟して戻ったら、PCモニターが傾いていただけでほっとしたのを覚えています。

交通機関が麻痺したため、様子見後に徒歩帰宅組と職場残留組に分かれました。危機管理担当の部署の人が残留組の人数を確認して、食料・毛布などの備蓄品を配布してくれたのでとても助かりました。
もうすぐ夜明け、という時間に送ってくれた人の車もとても印象に残っています。車に詳しくないのでよく分かりませんが、見た時の第一印象は「自衛隊かっ!」というくらいゴツい車で、その人の趣味が一瞬で分かるような車種でした。
(「ゴツい車」でググったらそれらしき画像がたくさん出てきた)
今は私もその職場は退職していますが、私の前に辞めたその人は風の便りでトラックドライバーに転職したとか。激しく納得。

11年経って、当時の震えるような気持ちは消えつつあり、自分の中では震災の恐怖は忘れかけています。
「天災は忘れた頃にやってくる」
それを思い出させてくれるのが3月11日です。

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2023年、12年の間に街の復興はだいぶ進んだように見えますが、解決していない問題もまだたくさんあると思います。自然災害は人間が抗うのにも限界があります。たとえ備えをしていても、これで完璧と言えないのが何とももどかしいですね。
遠い未来に空中浮遊建設みたいなものが実現出来たら、地震の脅威からは解放されるのではないか、と妄想しています。