こざかなの素

健康は大事

偶然「家族」になっただけなのに

自分の人生を生きる、というと何だか大仰ですが、自分なりにいろいろ考えて動いている最中に、また母親の健康問題に直面して手を貸す事態になりました。

何度も何度も何度も口論を重ねてきました。そろそろブチ切れそう。

2か月ほど前から腰痛が出ていて、数回鍼に通って身体が楽になったから病院には行かなくていい、と頑なに診察を拒否する。

根本的な治療をせず、痛みを和らげているだけだと言っても、あと何回か行ってから、もう少し身体が軽くなってから考える、病院は薬出すだけで終わりだから嫌だ、と逃げる。

一時的に痛みが治まっているだけで、内臓のどこかが悪い可能性もある(膀胱炎も併発していたため)と言っても聞く耳持たず。

そんな問答を繰り返している最中に、懇意にしている金融機関の営業さんが訪ねてきました。
病院へ行く・行かないの応酬を繰り広げていた、と教えたら、営業さんからも検査した方がいいですよ、と言ってもらえてようやく連れ出すことが出来ました。
ご機嫌が直ったところでその日のうちにすぐ病院を探して連れて行き、X線とMRIを撮ったら、やはりという感じで高齢者によくある圧迫骨折でした。

口論中に訪問してくれた営業さんも、今思えばタイミング良すぎで凄いですが、診察した病院でも、この日は週一で装具の業者さんが訪問している日だったので、すぐにコルセットの型を取ることが出来ました。

何だろう、この流れ。自分の運なのか親の運なのか、はたまた向こうの世界からの助けなのか……
あまりにもタイミング良すぎで、貯まった運を一気に使い切った感じがしました。運は貯まるものなのか分かりませんが。

身内の言葉は頑なに抵抗するのに、第三者の意見は効果てきめんでした。
自分的には介護の入口に立たされてしまった絶望感が少なからずあります。

少し先のことを考えて介護サービスの話をすると、今はまだいい、もう少し様子を見てから、とまたまた先延ばしの口癖。何を言っても拒否します。振り出しに戻ってしまう。

手伝う側も病院通いをしています。再発や転移の不安も抱えたままです。
そして自分の人生、好きなように生きたい。出来る時に出来ることをやっておきたい。
「家族」という縛りがそれらを時々阻害するのがとても苦しいです。