こざかなの素

健康は大事

再び入院—持病回想録(24)終

(前回のお話)

kozakanam.hatenablog.com

 

続く化学療法の副作用

再び抗癌剤をやることになり、加えてまた高額な注射を打つことになったので、目下の心配事は治療費でした。

少しでも負担を減らそうと、役所に出向いて高額療養費の限度額認定証を発行してもらいました。もっと早く、最初の化学療法が始まる前に申請すればよかったのですが、当時はそこまで考える余裕がありませんでした。

自宅から役所までは最寄りのバス停から直行では行けず、一度駅まで出て別の路線に乗り換えなければなりません。面倒だったので体力的に不安はありましたが自転車で行くことにしました。休み休み、ゆっくり行けば大丈夫。距離的には3km弱です。
その日は良い天気でしたが向かい風が強く、さらにマスクも装着していたので、移動中息が上がっては立ち止まる、ということを何度か繰り返しながらようやく役所にたどり着きました。
今思えばこの自転車が決定打になった気がします。

翌日、呼吸が難しくなりました。
何というか、空気がたくさん吸えない。深呼吸しようと思っても入っていかない。
さすがに怪しい、と不安になり、土曜日の夕方近くでしたが病院に連絡して救急窓口で受診することになりました。

 

心が全うでなかった(2019.3.21記)

先日、予約を前倒しで診察してもらったばかりなのに、3日後に呼吸困難になり、病院に連絡して夕方救急外来で診てもらったら……

CT・X線・採血・心電図の結果、まさかの心不全(ケモの心毒性)でそのまま入院となった。

いろいろ検査して時間がかかったため、病室に案内されたのは22時過ぎ。消灯1時間後だったので、その日は暗い部屋で寝るだけになった。
入院グッズ(?)が何もなくて着の身着のままだし、携帯のバッテリー残量も30%くらいで充電器ないし、横になると心臓バクバクだし利尿剤で夜中起きるし、寝た気がしないまま朝を迎えた。
翌日、家人に頼んで必要なものを持ってきてもらったが、それでも足りなかったものは院内のコンビニのお世話になった。

当初、のんきに「2~3日で帰れるよな」なんて思っていたら、去年の手術入院の時より長引いてしまった。
(しかも差額なしの病室が第一希望だったのに満床で差額ベッドに…)

毎日の利尿剤と心臓の薬で何とか持ち直して退院したが、急な入院についてはいろいろ学ぶことが多かった。
心毒性の心不全は治らないらしいので、緊急時に備え、いつでも入院出来るよう身の回りグッズはあらかじめ用意しておこうと思った。

帰宅して何がショックって、録画予約していた『ピアノの森』が、テレビのコード抜かれて録画されてなかったことだった。
(コンセントに携帯の充電器を差したままだったので、持参を頼んだら部屋の中のコード全部抜かれてた…泣)

 

いきなり入院

土曜日の夕方、息苦しさに不安を覚え救急窓口にて受診しました。
救急と言っても一刻を争う重体患者ではないので、待合室で順番待ちとなります。
診察室に呼ばれ、問診後に別室でCT・X線の撮影、その後また待合室で待機、呼ばれて診察室で採血・心電図……の流れになりました。

この時の問診は初めて会う先生でしたが、2度目に呼ばれた時は主治医のK先生がおりました。そこで初めて知ったのですが、K先生は救急部門で「長」がつく管理職でした(何でK先生がここに? と思ってしまった)。

検査の結果が出たのは19時過ぎか、もっと遅い時間。あまり記憶が定かではありませんが、K先生からファーストネームだけで呼ばれて診察室に入ったのは覚えています。
何故ファーストネーム……?(同じ苗字の患者さんがいたのかな?)

心不全」という診断にただただびっくり。即入院となりました。
(ダメもとで「一度帰っていいですか?」と聞いたが却下)

待合室で待機し、看護師さんに呼ばれて救急処置室のベッドに移動した後は、またしばらく待機。その間に利尿剤を服用(通常は夜飲まない)、入院の手続きに必要な書類に目を通したりサインしたり、付き添ってくれた家人と必要な荷物について相談したりと、にわかに慌ただしくなりました。
病室の準備が出来て、部屋に移動したのは22時過ぎ。消灯1時間後だったので、この日は寝るだけになりました。
また先の見えない状況になり、着の身着のままなのとスマートフォンのバッテリーが残り30%くらいだったのも不安を増長させていました。
ボールペンは持っていましたが、メモ帳がなかったので、手帳カバーの折り返しに挟んでいた付箋に当時の様子を細かく書いておきました。

 1枚目冒頭はすでに過去記事(「心模様」)にて公開しています。

コンビニでメモ帳を購入するまで付箋に日記を書いていました。

土曜の夜の急な入院。自宅のベッドと違い、リクライニングなので多少身体を起こして寝られるものの、息苦しいことに変わりなく、利尿剤を服用したのでトイレが近くなり、その夜は寝た気がしませんでした。

翌日は日曜で病院も休みなので、検査も月曜までお預け。
昼近くに母が身の回りの物を持参してくれました。いろいろ世話になってありがたいのですが、高齢かつ難聴のせいで多少判断力や注意力が落ちているようで会話が噛み合いません。文字だけのメモでは分かりにくいと思い、持ってきてもらいたい物は収納してある場所と、どんな形状かを絵にして説明したのですが見つけられなかったようです。持参した荷物の中にはどういうわけかアイス枕までありました。

月曜日、外来患者さんで混雑する前にX線検査と心電図検査、午後は部屋に循環器内科のS先生が来て超音波検査をしました。この日の夜の血圧は「上77」というメモ書きが。ベッドの上で看護師さんが測ってくれていたのですが、低すぎるので時間をおいてからナースステーションの横にある血圧計で測り直しになりました。

入院4日目に利尿剤と心臓の薬が3日分出て、様子見のため入院は延長となりました。外科の先生(主治医とは別の先生)の説明では、心不全抗癌剤で起こることもあるが特定はまだ出来ない、とのことでした。

入院5日目、循内S先生から、心臓の働きが弱っているので利尿剤と心臓の薬で治療を進めていく、と説明がありました。2~3日で帰れるかな、と高を括っていましたが、その後も薬を飲んで尿量の計測、1日おきに採血やらX線やら検査の目白押し。

入院してから約1週間後、朝食後のハミガキ中に主治医のK先生がひょっこり顔を出し、明後日予約していたフェソロデックスは中止して元の薬に戻すよ、と伝えて去っていきました……(肺転移だと思って変更したとのこと)。
この日は午後から看護相談、その後に超音波検査がありました。
心臓はだいぶ落ち着いてきたけど、普通の人の2/3ほどの収縮とのことで、弱っていることに変わりはないので、今後は外来で経過観察と薬を処方という形になりました。

それから間もなく退院となり、結局12日間お世話になりました。
急な入院で満床のため差額部屋となり、支払いはトータルで10万超え。またまた諭吉さんに羽が生えて飛んでいきました。

 その後、定期的に通院していた診療科は外科の他に循環器内科も追加され、毎日の薬も増えました。
知らずに負担をかけていた心臓はポンプ機能が低下する心筋症になっていました。

 

おわりに

というわけで、持病回想録はひとまず終了です。思いの外、長くなってしまいました。
退院後は癌も心筋症も薬でコントロールする日が続いており、幸い大きな体調変化もなく落ち着いています。

療養中にコロナ禍の波が何度も押し寄せ、外に出るタイミングを完全に見失いました。
元々あった自身のメンタル面の不調に加えて、実家暮らしのストレスも重なり、今はどちらかというと精神的な問題の方が重くなっています。
そんな心の問題についても、また少しずつ書いていこうと思っています。

 

(最初のお話はこちら)

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