こざかなの素

健康は大事

衆目を集める

日々の生活で何より苦手なのが、タイトルにもあるとおり「人から注目される」ことです。大勢の前での挨拶や意見を述べたりすること、2~3人であっても同時に注視されると非常に緊張します。

なぜ人に見られるのが怖いと感じるのか。何かきっかけになるようなことがあるのでは、と考えたら、小学生の時にそれらしい体験がありました。
少し長いですが旧ブログに投稿した記事を引用します。

「ゾロ目と先生の思い出」(2021.11.11記)

毎年この日が来ると思い出すことがあります。
とても寂しく嫌な思い出なので、いつまでも忘れることが出来ません。
11月11日はゾロ目の日です。小学校6年生の時、この日の授業中、11時11分11秒を迎えることにクラス中が沸き立ち、喜々としてカウントダウンを始めていました。
私はこの時教室の外でその盛り上がる声を聞いていました。理由は忘れましたが、担任の叱責を受けて廊下に出されていたからです。立たされていたか、正座だったかは覚えていませんが、とにかくその盛り上がるクラスの輪から除外されていた、その状況が今でも寂しい思い出となって残っています。

この時の担任は、恐らく当時30代の女性でした。さばさばしていて、よく言えば「竹を割ったような」性格。そして自分の気質がそうであるせいか、外で活発に遊ぶ男子がとてもお気に入りだったようです。昼休みに教室でお喋りをしたり、絵を描いたりといったインドア派の子はお気に召していなかった印象があります。

教師という立場上、自身の好みで子供を選り好みするのはあまり感心しないことだと、大人になった今なら分かりますが、当時はその担任が「絶対」であり、インドア派の一人だった私は、日々彼女の機嫌を損ねないようにすることをいつも気に掛けていました。ドッジボールのような、身体にボールをぶつけて相手を負かすゲームは、自分にとっては本当に恐怖以外の何物でもありませんでした。
しかし「子供は外で元気よく遊ぶ」のがその担任の信条となっており、機嫌を損ねないため、恐怖を押し殺して楽しそうに参加することも幾度となくありました。

1日の終わりに開かれる「帰りの会」では、ほぼ毎回と言っていいほど誰かが名指しで一人を糾弾し、「スケープゴート」が生まれていました。AさんがBさんの悪口を言っていたとか、掃除をさぼって遊んでいたとか。すると糾弾された一人がターゲットとなり、担任からの「罰」を受けることになります。
帰りの会」に限らず、授業中でも担任の逆鱗に触れることがあると「罰」は発動されます。誰かが担任の怒りを買っている間は、新たな「ヒツジ」は生まれていませんでした。

もう何十年も前なので記憶があやふやになりかけていますが、自分が覚えている範囲の罰は、ほっぺたをつまんで左右に振られる、ヒールで蹴られる、竹刀で叩く、黒板用コンパスで小突く、夕方の校庭に正座、教室内でバケツ持ち(水をこぼすとビンタ)、廊下に出される、机と椅子ごと隣のクラスに移動させられる(教室の後ろで正座)などなど。

もうひとつ覚えている「罰」というか、おかしな決まり事がありました。担任の怒りを買った子は席順が一番後ろに下げられます。教卓の左右二か所(全部で四か所)にはお気に入りの子を座らせ、粗相をした子は最後列。担任の傍にはいつもその時のお気に入りが鎮座している状態です。しかしそんなお気に入りの子も、ひとたび担任のご機嫌を損ねると容赦なく最後列に移動させられます。そして最前列の誰かが空席に繰り上がるというシステム(サバイバルゲームか何かか?)。

怒りが頂点に達した時だったのか、最後尾でも気が治まらない(?)時は、私が経験した「隣のクラスに机椅子ごと出張」させられる措置。その時掛けられた言葉は今でも覚えています。
「お前はこのクラスに要らない!」
……何をしたんだろう自分(全く覚えてない)。
バケツを持って立たされ、辛くなってバランスを崩してバケツの水をこぼしても「お怒り」になってしまうので、何が気に入らない行動になるのかいつもビクビクしていました。小学6年で身長は140cmに届いていない小さい人だったので、水の入ったバケツはとても重かったのです。
次が体育の授業で、みんな体育館に移動した後もバケツ持ちを続けていたことがありました。泣きながら担任の元へ行って謝罪したら「早く謝りに来ればいいのに!」と不機嫌そうに言っていたことを覚えています。

何がきっかけなのかはやはり忘れていますが、ある日担任から「お前は二重人格だ」と言われた記憶があります。今となっては憶測でしかありません。たぶん友人たちとはしゃいでいる姿を見た誰かが担任に教えたのでしょう。モリヲさんはいつもおとなしいのに、遊んでいる時は活発な様子だと。裏表のある人間だと取られたようで「二重人格」という言葉が出たのかと思います。

(中略)

昭和時代の出来事で、当時はヤンキー全盛期でテレビドラマにもツッパリ達がよく登場していました。体罰が令和の現在では即ワイドショーのネタになりそうなほど凄まじいですが、自分が忘れているだけで、実はとんでもないクズな子供だったのではないかと少し不安になりました。自覚がないだけで、クラスの誰かをひどく傷つけていたとか。記憶は自分の都合のいいように捻じ曲げられているだけかもしれません。

(後略)

帰りの会」で名指しされると、起立した状態でクラス全員から注目され、担任の叱責が始まります。
しょんぼりしてうつむいて泣いていると、今度は別の児童(男子)が畳みかけるように責めてきます。今でも覚えているのは「モリヲさんは、泣くと口をモゴモゴさせて何か言いたそうにしてます。言いたいことがあるならはっきり言った方がいいと思いまーす!」(すごく得意気に)
涙が出ると鼻水が喉を伝って口の中にも広がります。涙を飲み込んでいる、その様子まで言及されるという恥ずかしさ。それをクラス全員が見ています。

令和の時代になった今は、「自分らしく生きる」ことが大切だという風潮になっています。私が子供の頃には出来なかったことです。自分らしく、自由時間に好きな絵を描いたり本を読んだりすることは担任を怒らせ、何故外で遊ばないのかと詰問されることだったから。社会的に大人となっても、その時の恥ずかしさや恐怖心は抜けていないようです。
5年生と6年生の2年間、お世話になった(?)彼女はもうお婆ちゃん(ご存命であれば)ですが、今どこで何をしているのやら。

その後中学でも、ある行事で事前連絡もなく体育館の壇上に上げられ、全校生徒の前で発言するという罰ゲームのような目にも遭いましたが、その時は胃炎を患い中学1年で胃内視鏡検査を受けるほどのダメージを喰らいました。

年齢を重ねて多少は図太くなったものの、注目される場面というのは未だに緊張します。それこそ昭和のヤンキーのように
「何見てんだよ!」
と一喝出来る勇気があれば、もう少し楽に生きられたかもしれません。